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去る2015年2月22日、ガイシフォーラムで行われた新瑞福祉会50周年記念行事に参加した。
名古屋市瑞穂区で所在する「たんぽぽ保育園」「こすもす保育園」「さざんか保育園」「ななくさ保育園」「あさがお学童保育所」「第2あさがお学童保育所」「デイサービスたんぽぽ」「デイサービスあさがお」などを束ねる福祉法人である。他に事業として、「地域子育てセンター」「一時保育事業」「休日保育事業」「24時間緊急一時保育モデル事業」など、子育てを中心に取り組めることは全部積極的に手を挙げていく、常に模範となるべくいろいろな壁を乗り越えてきた、そんな福祉法人でもある。

50年前と言えばまだ私が産まれる前のこと、そにな時代に共同保育所として産声を上げた。「女性は家庭に入り子育てをすればいい。」、そんな風潮であったとは思うが、働きたいお母さん達の切実な思いから産まれた保育所でもある。
仕事・子育て、その両立を果たさなければいけない中、また世間的な目もあった中、当時のお母さん達が第一に掲げたことは、「子育てに絶対手を抜かない」ということなのではと思う。

例え想像力の貧弱な私だとしても、当時どれほどの苦労があったのかは容易に想像できる。行政の支援・補助金がない中、保育所・運営費や保育士さんの確保など、その全てを自前で行わなければならないほどの状況は、なかなか自分の為だけでは出来ない苦労がある。「子供の為にも絶対に手を抜かない」そんな誓いにも似た強い意志があってこそ、当時の状況説明に対してつじつまが合う。絶対に両立させるという想いで頑張ってきたその精神は、今の新瑞福祉会の手厚い保育にも受け継がれている。新瑞福祉会の50年の歴史に触れたとき、今の私たちがいかに恵まれているのかを知り、今の境遇を当たり前と思ったとき、その進歩は足を止める。

とは言うものの、「特に乳児のころに、子供を保育園に預けるのはかわいそうだ。」、例に漏れず私もそう考えていた内の一人だが、この保育園「さざんか」「たんぽぽ」に入所してから考えが変わった。親子共々、保育園での朝のお別れは大変つらいものがあるが、「5分後には笑って元気に遊んでいますよ!」と保育士さんに教えられると、こちらが拍子抜けするほど親としての自分の存在を疑う。現に子供の中の序列は「お母さん→担当保育士さん→お父さん」の順番で、当時の私は完全に保育士に負けていた(笑)。
それでも夕方となれば、親と別れて保育園で頑張ってきた気持ちも限界が近づく。親も子供に対する愛情が今にもこぼれ落んばかりだ。お迎え時はドラマのワンシーンのように感動的で、特に乳児のころの長男慎之介は、毎回親の顔を見た瞬間大粒の涙を流してくれた。

「学生時代のようで、とっても楽しい。」
保育園クラスのパパママどうしのつながりを、そう表現してくれた人がいました。クラスのみんなでお泊り旅行なんかもしたりして、子供の為の旅行じゃなくて親の為の旅行じゃないのかと感じたりもした。まあ微妙なところだが、どちらかというとやっぱり親の方が楽しみにしてたかも(笑)。
子供を寝かしつけた後、パパママがパジャマ姿で1つの部屋に集まっては大宴会。非常にレベルの低い会話のそれは、まさしく学生時代のノリ。2015年度が、我が木村家の保育園時代のラストイヤーになるが、子供は卒園出来ても親が卒園出来るのかが心配になるほどだ。

こすもす保育園で保護者会長もさせていただいた私で、この保育園に対する思い入れも当然強く、孫が出来た暁には、またこの保育園にお世話になれればと遠い先のことまで想いを馳せる。こすもす保育園は保護者の活動も活発で大変に思う人もいるかも知れませんが、でもそれを楽しみに変えることが出来ればきっと子育ても楽しいものになります。現に、とても少子化とは無縁な位に兄弟の多いこの保育園は、子育てが充実している環境であることを証明しています。

過去と未来をつなぐためだけに存在している私たちは、何があっても第一に未来である子供たちのことを考えたいと思う。未来が無ければ、いったい今にどんな意味があるのだろうか。だからこそ大人は子供たちを最大限に愛して欲しい。それは社会としても同じこと。そしてそれこそが、今を生きる大人たちの最大の存在意義だと考えています。

「愛知洗い人」 木村 照臣

(株)木村クリーニング

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